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2015年12月23日

大橋直久「発達の見方」

子どもの発達の見方としては、各年齢ごと、あるいは乳児期・幼児期・児童期といった時期ごと、さらには特定の理論に基づく発達段階ごとに、子どもの行動や精神機能の全体的な特徴をとらえる見方と、運動機能とか思考、言語、対人関係、感情、行動、道徳性といった領域ごとの発達をみる見方とがある。

前者は、ある時期の子どものさまざまな機能間の「横のつながり」を重視し、人格としての総合に重きをおく構造的な見方であり、後者は、各機能の「縦のつながり」を重視する発生的な見方である。

発達を理解するには、この構造的な見方と発生的な見方の両方が必要である。

また発達は、発達検査や実験でとらえられるようなある機能や能力の発達をみる見方と、現実の生活の中であらわれる自発的行為や傾向の発達をみる見方とがあり、この両者は必ずしも一致しない。

さらに1人ひとりの子どもの発達は、人間としての普遍的な発達を示すと同時に、個性的な多様な発達を示す。

それはまた社会的文化的歴史的条件によって多様に変異する面と、人間として普遍的で共通する面を含んでいる。

大橋直久(ホスピタルマナー)
  
タグ :大橋直久


Posted by 大橋直久 at 17:06大橋直久

2015年12月13日

学習

学習は、個体が生活の中で能動的・受動的・反応的な経験をすることにより、行動・技能・知識・認識などを獲得あるいは変化させることをいう。

高等動物ほど学習に依存する割合は増大し、子どもの時期ほど学習の重要性は大きい。

とりわけ乳幼児期には、その後の児童期の学校教育における意図的計画的学習である勉強と違って、日常の遊びや生活における経験から自然に偶発的に学習されるものが大部分である。

ことばやさまざまの生活習慣、運動技能の学習などがその例である。

学習には、物や出来事に対する自らの行為や経験による直接経験の学習と、他者の行為や経験を自分のものとする、模倣や観察学習などの間接経験の学習とがある。

大橋直久(ホスピタルマナー)
  


Posted by 大橋直久 at 15:06

2015年12月03日

大橋直久「正月に家々に迎える神さま」

正月に家々に迎える神さまは歳神といわれ、もともとは稲作農耕を司る山の神です。

冬至がすぎて山に帰っていた歳神が家に戻ってくる目印が門松です。

目印として松を立てるのは、山に生え、山の象徴であり、神さまの好む木が松だったからでしょう。

門松がないと、歳神は迷ってしまうと信じられていたのです。

江戸時代より以前は、門松は魔除けではなく歳神が戻ってくる家を捜しあてる目標物だったのです。

門松は庭に一本だけ立てるのがふつうでした。

「門」は入口ではなく、庭園のことです。

入口は「もん」ですが、いつのころからか庭園を「かど」といわなくなり、門松は神さまが降りてくる目印である入口を意味するようになりました。

ちょうど、サンタクロースの煙突のように……。

大橋直久(ホスピタルマナー)   


Posted by 大橋直久 at 01:02大橋直久仕事