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2016年11月29日

大橋直久「よい香りは精神安定にも効果を表す」

神経を沈静させる芳薬草を使ってストレスを緩和させるアロマテラピーが、若い女性を中心に人気を呼んでいる。

香と日本の出合い

香は奈良時代、仏教とともに中国から伝えられた。

神仏に供えられていたものが、部屋や着物に移す薫物にも用いられるようになったのは、平安時代のことである。

これらに使われたのは香木(白檀、沈など香りをもつ樹木)ではなく、練り合わせられた煉香(動物の分泌物や樹木の液体状の樹脂を人為的に調合したもの)だったので、さまざまな調合をすることができた。

15世紀になると、御所では賭けをともなった「十種香」、「薫物合」など、香りを聞いて産地や種類を当てる遊びが流行した。

大橋直久(ホスピタルマナー)   


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2016年11月19日

「床の間と生け花」

近頃盛んなフラワーアレンジメントとは一味違う、日本の伝統的な生け花。

外国でも注目されていて、「IKEBANA」として国際語にもなっている。

華道の技術である、生け花のもととなる投げ入れ花が始められたのは、平安時代のことである。

貴族たちはルールにもとらわれず、花を楽しんでいた。

室町時代になって、武士たちの住まいである「書院造り」の家に床の間が設けられると、生け花は飛躍的な発展を遂げる。

美術品と同様、床の間に生け花も飾られたということは、両者が同じくらいの評価を受けたということである。

室町幕府の将軍・足利義政は、将軍家の美術工芸品の管理や、また公式行事の際に花を生けたりすること、茶会や歌会の準備を「同朋衆」と呼ばれる人々に任せ、これを庇護した。

彼らは、床の間とのバランスをとりながら、生け花のルールをつくっていった。

大橋直久(ホスピタルマナー)   


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2016年11月09日

大橋直久「茶の湯を完成させた千利休」

千利休は、織田信長や豊臣秀吉のもとで茶頭(茶を指導する役目)として活躍した人物である。

珠光の「一座建立」を基本に、芸術、宗教、道徳それぞれの側面をもつ茶道を完成させ、普及に努めた。

また、珠光・紹鴎の四畳半の茶室をさらに小さくし、草庵形式を加えた。

また、質素で趣のある道具を好んで用い、部屋の装飾も、蒔絵など派手なものは一切使わなかった。

反対に、派手で有名なのは秀吉の黄金の三畳茶室。

現在は、熱海のMOA美術館に復元されている。

また、利休は一流の茶人であっただけでなく、秀吉の側に仕え政治にもかかわっていた。

三千石の禄高を授けられ、天皇からは利休居士の号を賜るほどであった。

しかし、利休に切腹を命じたのも秀吉である。

その理由は、利休が大徳寺に自像を建てたことに対して秀吉が立腹したからだといわれているが、真相は藪の中である。

大橋直久(ホスピタルマナー)   


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